Archive for 10月 28th, 2008

あわわっち的文化人類論 (その1)

2008年10月28日(火曜日) | お金, スポーツ, 映画, 生活, 音楽 | コメントはまだありません

子供の頃父から、世の中のお仕事というのは3つに分類できるということを習った。
たぶん、まだ俺様が小学生だった時のことだと思う。

  • 自然界に存在するモノを取ってくる仕事
  • その取ってきたモノに手を加えて製品にしたり、それをお店まで届ける仕事
  • その製品を売る仕事。そして、サービス業

と。
その際に、このそれぞれを

  • 第一次産業
  • 第二次産業
  • 第三次産業

と呼ぶことも合わせて教わった。
そして、実は人が生きていくのに必要な度合いに応じて、一次、二次、三次と分けられていて、サービス業という特別な産業は第三次産業に分類されているということも漠然と教えられた。
子供は記憶力に優れているので、ふぅ~ん、世の中そうなってるんだーと単純に鵜呑みにしたんだろうね。いつまでもこのことを覚えていたけど、これについてキチンと裏づけを取るとか、系統だって調べてみるということはしたことがなかった。

で、最近ちょっと気になり始めたのだが、絵描き、音楽家、小説家、俳優といった芸術・芸能の分野の産業(職業にしているプロ)と、プロスポーツ業(プロスポーツ選手という職業)の類はこの産業区分のどこに属するのかな?という疑問が俺様の頭をもたげている。

これらはサービス業と呼ぶのが正しいのかな?(たぶん、サービス業ってことで第三次産業に属するんでしょうね)

今回この投稿を書くに当たって、Wikipedia で調べてみたら、この俺様が知っていた産業区分は、「クラークの産業区分」って言うんですってね。「コーリン・クラークは、『経済的進歩の諸条件』(1941)において、産業を第一次産業、第二次産業、第三次産業に3分類し、経済発展につれて第一次産業から第二次産業、第三次産業へと産業がシフトしていくことを示した。」(Wikipedia より)。また、「クラークの産業分類に関しては、第三次産業に単純労働が含まれ、後進的な産業が先進的な産業と同じ扱いになっているという批判がある。(中略)雑多な産業を単一のくくりで単純化することについても批判がある。」(Wikipedia より)なんだって。

今回は産業区分の妥当性、有用性を議論したいわけではないので、
呼び方や産業区分での位置付けはともかくとして、これらの簡単に言ってしまえば娯楽のための産業って我々の生活においてどんな意味合いを持つのかな?どんな役割を果たすのかな?経済発展、もっと一市民の視座から言うと、生活の豊かさとの関係は?
ホントになきゃいけないものなのかな?あるとどう良いのかな?
といった、素朴なクエスチョン。
この辺りをことを、色んなことに思いを馳せながら考えてみたい。

 
生きるために必要な活動
 

上記の疑問に先導されるような形で、最近こんなことを頭の中で想像している。

文字通りプリミティブな発想をすれば、人間が生きていくためには「衣食住」が安定すればそれで良いはず。
寒さ(または暑さ)に対して体温を維持し、外傷から身を守る衣服を身に付け、生命を維持するために十分な栄養素を摂取し、外敵や寒暖から身を守りつつ寝起きできる住居があれば人間は生きていけるはずである(ちょっと乱暴だけど、生命を維持するって意味で捉えてください)。
つまり、原始生活が前提条件なら、第一次産業的な行為が生命維持のための必要十分条件となる訳だ。
映画なんて観なくてもOK だし、ロックなんてなくてもヘッチャラってわけ。

でも、まあ1億3千万人の日本人の食料や衣服を四季を通じて恒常的に安定してまかなうことを考えたら、生産性・効率性を考慮しなければならない。例えば、食料採取が可能な時期に可能な場所に行き、それに適した人材がそれ以外の人の分までかき集める。けれども、採れない時期のことも考慮して、食料を腐らせずに保存するには、適切な加工技術が必要になってくるだろう。そして、直接採取しない人のところ確実に輸送する技術も。過不足なく分配するための運用面のプロセスも必要になるだろうね。
つまり、人口を考慮に入れると、第二次産業的な行為までもが生命維持のための必要十分条件となる訳だ。
ここでも、小説なんか読まなくてもOK だし、スポーツ観戦なんてなくても全然平気ってことには変わりないと言える。

ここに出た生産性・効率性というポイントに目を向けてみよう。
これらを向上させようとする時に手っ取り早いのは、やはり作業を集約することだと思う。つまり、役割分担をして、AさんBさんが担当する作業を適性や全体の必要性に応じて振り分ける訳だ。
A さんは、αという作業に専念し、B さんは、βという作業に専念する。αもやったり、βもやったりというオーバーヘッドを減らすことを目論むわけ。
でも、我々が勤めている会社とかでもそうだと思うけど、役割分担ってすると、必ずそこに従事している人間の心に不公平感を生むんだよね。A さんはこんなことを言うわけだ、
 「俺はαが上手いけどBは下手。Bはβしかできないくせにエバッてる。αの方がβより難しいのに」
って。
αとβの持つ価値を、まんま比較して評価することは出来ないので、それらの価値を投影する共通の物差しが必要になるわけで、それが貨幣なんだと思う。そして、外的要因に応じてそれらの定量的な額を均衡状態にするまで微調整する役割を担うのが、市場や相場、もっと言えば金融業なわけだよね、元々は(サブプライムローンの抵当権を、細分化して商品化して、実体とかけ離れたところで売り飛ばすなんて”スマートな”ことを昔の人は考え付かなかったはず)、きっと。
こんなことをつらつらと考えていくと、人のやりとりを円滑にしようとすると第三次産業に類する仕組みや業種の必要性というのが見えてくる。
そーれーでーもー、生きるためにはモナリザに微笑んでもらう必要性なんて無いし、イチローが何本ヒットを打とうと関係ない。増して張本とどっちが偉大なのか?なんてことは特にね(笑)

ここまで当たり前のことを再確認する意味を込めて、しつこくしつこく書いてきたけれども、人間が生命を維持するためだけに活動する、あるいはその効率性を上げるためだけに活動するというのだとすると、娯楽の類、娯楽のための産業というのは必要ないということになりますね。

でも、実際にはれっきとした産業として存在している。
産業として成立しうるということは、確固とした需要がそこにあるからなわけですよね。

何か不思議。当たり前といえば当たり前。でも、不思議。
当たり前で不思議なことを、強引な前提条件を付けてゆるーく考えてみました。

消費者のどんな心理による需要なのかは、またの機会に考えることとします。

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ドルハモドルノカ?

2008年10月28日(火曜日) | お金, 生活 | コメントはまだありません

弊社の株価が31ドル台までおちこんでます。
1ドルが約93円の超円高。
1株当たり2,900円という見当になる。

ちょうど3ヶ月前の7月28日時点では、
株価は43ドル台で、1ドルが約108円だったので、1株当たり4,600円だったわけだ。

価値が3分の2以下になってます。

果たして、ドルはモドルのか?
(はい、単にこのダジャレが言いたかっただけです。)

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真理を追究する

2008年10月28日(火曜日) | その他 | コメントはまだありません

夜中に何となくNHK の化学講座を見ていたら、実験をやっていた(まあ、当たり前だけど)。

1. まず石灰水に酸素を流し込みます → ブクブク言うだけで変化なし

2. この酸素を流し込む管の途中で黒鉛を燃やします → ブクブク言いながら石灰水が白く濁ります。
白く濁るのは、二酸化炭素が溶けた証拠。つまり、酸素に足されたのは炭素ということで、黒鉛は炭素から出来ていることが証明されました。

3. 今度は黒鉛の代わりに何と”ダイヤモンド”を燃やします → ブクブク言いながら石灰水が白く濁ります。
ダイヤモンドも炭素から出来ていることが分かります。

この結果を踏まえてアシスタントの女の子が、
 「実験の為とは言え、ダイヤモンドを燃やしちゃうなんて、ちょっともったいないですね。」
と。
そうだ!そうだぁ!

それを受けて教授が、
 「化学の真理を追究するための実験ですから。」
と、サラっと回答。

このサラっと感が、夜中にツボに入ってしまい、大笑いしてしまった。

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