昨日仕事で神保町に行きました。 神保町にあるお客様先を訪問したのです。 (正確な地名は神田神保町というようですね。)
駅からお客様のビルまで歩いていたら、このような看板が!!
神保町ブックフェスティバル
どうやら、次の3連休(11月1日(土)~11月3日(月))に神保町ブックフェスティバルなるイベントが催されるようです(詳細はこちらをどうぞ)。
“世界一の本の街”と記されているので、ホントかい!と思ってWikipediaで調べてみたら、以下のような記述がありました。 「多くの書店や出版社、出版問屋の取次店が所在し、世界最大級の古書店街として知られている。」 なるほど、なるほど。 こんな記述もありました。 「戦時中には、アメリカ軍が『神保町の古書が焼失することは、文化的に極めて大きな損失である』 として、この一帯のみ空襲を避けたという都市伝説もある。」 何だか京都クラスの扱いですね!
よく読んでみると、 「神田古本祭りや神保町ブックフェスティバル等、本に関するイベントも毎年行われている世界最大級の書店街である。 特に古書店が多く、古書店街としても世界最大級である。」 ともあります。(上記「」内は、全てWikipediaより) ほっほー、二冠王ですか?! (巨大な餃子を食べた時の稲中の田辺の二冠王とは格が違いますね!)
俺様は、大学4年生の時に「数学辞典」なる超マニアックな本をここで買いましたね。懐かしい。
Tags: 古本屋, 本屋, 神保町
以前このBlog で、ウチの長女アンドレア(年中)が、絵が上手なんですよということに触れました(「長女の絵」)。
最近また保育園で絵を描いたようなので、写真に収めてきました。 壁に貼られていたものを携帯で撮ったので、ちょっと手ブレてますが。
長女アンドレア(年中)の絵
どうですか? ほっほー、中々やるじゃない!って思ってもらえますか?
ただね、これね、、、 タイトルが、 「運動会の思い出」 なんですよ。 運動会でやったこととか、目にした物を描いたんですって。
脳内で”メルヘン”が多量に分泌されているウチのアンドレアの目には、 運動会がこのような景色に映ったんでしょうね…
Tags: メルヘン, 絵, 運動会
今回は、消費者の購入動機、その心理の根幹について、個人の経験に基づいて考えてみたいと思います。
可処分所得用途のポートフォリオ
皆さんは、家計簿やお小遣い張の類はマメに付けてますか? 俺様は、その手の物をキチンと付けられたためしがないです。なので、自分がどんなことにお金を使っているか、使い過ぎてないか?もっとお金を掛けるべきところにケチってないか?ということを細かく把握できておらず、自ずとそれらの反省により行動パターン修正するなんてことにならないので、常に行き当たりバッタリでお小遣いを使ってます。
かっこ付けてポートフォリオなんて書きましたが、要は食費とか通信費とか交際費とか書籍代とかの、可処分所得内での割合ですよね。どう按分してお金をつかっているのか? 細かくは見えてませんが、大まかに言って自分のお小遣いの使い道を以下の2つに分けるのが個人的にはシックリ来ます。
ここで俺様が何が言いたいかって言うと、必要経費的に毎月固定で出て行く前者のお金に対しては特に感慨を持たないが、後者の出費って言うのは消費時の状況や心持ちによって全然感覚(出費時の痛み)が違ってくるよなーってことです。 自分が欲しいと思って買ったCDとか本とかは、人間って結構高額であっても喜んでお金を使うけれども、義理や付き合いの要素が含まれてくると、その出費の大きさに応じてイタタタタって気持ちになるよなぁってことです。 この使う必要のない出費をもう一段階細分化した時の、 「誰にも強制されていないのに好きで使うお金」 っていうのに注目したいんです。
その喜んでお金を使うっていう際の購買意欲というか、購入動機というか、消費者心理によーく目を凝らすと、人間が自身の生命を維持するために必要な活動とは非常に遠いところでお金を使っているような気がしませんか? 好きなアーティストのコンサートに行く、好きな画家の(レプリカとはいえ)絵を部屋に飾る、評判の良いレストランで食事をする、好きな女性に花を贈る、好きなブランドの服を買うといった消費活動を想像して言っています。 これらって、生きるか死ぬかのプリミティブなボーダーラインより、大きく遊離したというか昇華したエリアの話と捉えることが出来ると思うんですよね。 もちろん、食事をするとか服を買うとかは生きるために必要な活動だけど、より快適なサービスを受けられる環境(レストラン)でご飯を食べるとか、より美しい衣服(単純原価より遥かに高価)を身にまといたいという要素が多分に含まれていて、単に機能面を追及するだけではない部分に、好んで我々はお金を使っていると言える。
こうして整理してみると、「必要か必要でないか?」と問われれば、全然必要ではないのに、あるいは必要ではないレベルの物なのに、その不要な”モノ”や”サービス”に対して、我々は汗水たらして働いて得た貴重なお金を、”好き好んで”使っているという構図が見えてきます。 何故なんでしょうね?
自分探しの旅: 好き/嫌いに理由なし
俺様は、この理由は、自己のアイデンティティの確立と密接に関わっているんじゃないか?と捉えています。 つまり、ちょっと比喩的な表現を使うと、好きなモノやサービスを好き勝手に消費することにより、人は”自分探しの旅”を続けているんじゃないか?ということです。
学生時代数学や物理という科目が好きだったか嫌いだったか?というのには、結構明確な理由って存在すると思います。得手不得手という一番分かり易い観点や、有能な教育者との出会いのお陰で数学というものの見え方がガラリと変わったとかね。結構核心に迫る理由があるような気がする。 でも、ビートルズの音楽、ゴーギャンの絵、北野武の映画、村上春樹の小説、ベルサーチの服が好きか嫌いか?というのには、理由というものは明確に存在しないと思う。単に好きか嫌いかの直感がまず先にあって、その後にどうしてかな?と考えた時に、自分の中のこういう部分と共鳴するからなのかなという、”裏付け的な理由”が”後追い”で付いてくるんじゃなかろうか?と思う。
自分自身の音楽に関する趣向を通して考えてみる。 俺様は1972年生まれなので、ティーンエイジャーになった時に、1982年だった訳だ。 当時といえば、Duran Duran とかWham!、カルチャー・クラブとか言った80年代特有の無反省な(?)ポップ・カルチャーが音楽シーンを席巻し始めていた。イギリス発のモノが多かったのかな。周囲の影響もあり、俺様はそんな時代の空気をたっぷり吸って育った訳だ。 時代は80年代後半に入り、こちらも高校生ぐらいになるとちょっと趣向も変わってくる。 俺様自身も歳と共に(多分に漏れず)よりハードなモノを求めたのと、時代の流れが合致したのとで、アメリカ発のハードロックを良く聴いていた。ヴァン・ヘイレン、ボン・ジョビ、モトリー・クルー、ガンズ・アンド・ローゼス、ポイズンとかね。セックスとドラッグとバイオレンス!! 歌詞やファッション、メディアを通じてこぼれてくるゴシップもその手の類の話が多かった。そんな世界観もひっくるめて良く聴きました。
ただ、これらの流れとは別に古いロックも大好きで、特にローリング・ストーンズをひたすらひたすら聴くようになっていった。 ストーンズの音楽というのは、基本的には非常に渋いので、パッと聴いて惚れ込むという類のものではないと思う。だから、何故俺様がストーンズを心の中のNo.1 にしたのか?するようになるキッカケがあったのか?は基本的に良く分からない。
聴けば聴くほど味が出る楽曲が多くて、それらはシングルカットされていることの方がむしろ少ないので、アルバムをお小遣いと相談しながら買い集めて、何度も何度もそれらを聴いた。そして、何度も聴いた曲であるのに、ある時また新しい発見があったりすると、「かっこいいーー」と文字通りシビれたりもした。
でも、それって相当聴き込まないと起きない現象なので、最初に俺様の心を捉えた何かは、やはり直感によるものだったんだと思う。そして、聴き重ねるうちに、何かが俺様を捉えて、よりハマリ込んで行くというのも直感によるもので、ここにもやはり理由なんて無いんじゃないかな。上手く説明できないもの。 ストーンズは、世界で最も偉大なロックンロールバンドとして既にそこに存在していて、ストーンズが好きな高校生の俺様がやはりそこに存在するようになっただけということになるんだと思う。
80年代終盤から、ローリングストーンズは時代の背景(ジャパンマネー、法務省の入国規制の方針転換、ドーム型球場の登場)の後押しもあり、数年に1度行うワールド・ツアーの一環として日本公演を行うようになった。 俺様個人としては来日する度に1度か2度は日本公演に行っていた。特に印象深いのは、1998年のBridges to Babylon Japan Tour。
その公演ではアリーナの後ろの方で観てたんだけど、今でこそ当たり前になったとにかくバカデカいスクリーンが3分割になったり4分割にになったり(確か)で、そこにストーンズのメンバーの姿が、公演中一貫して計算されつくされたコマ割で映し出されていた。 コンサート山場、アリーナど真ん中に設けられたセンターステージに、ニョキニョキニョキっとメインステージから伸びて来た橋(Bride to Babylon)を渡ってミック・ジャガーが颯爽と歩いてきた時、俺様は我を忘れて「ミックーーー、ミックーーー!」と叫んでいた。だって、あまりにもカッコ良かったから。この時のミックの粋な立ち姿を、真似っこ出来たら、あるいは文章で描写できたら、あるいは俳優に演出として演じさせることが出来たら、俺様はサラリーマンやってないですね。だって、それだけで食っていけるもん(笑) それぐらい、ミックジャガーが放つ存在感に酔いしれた。 そのセンター特設ステージで演奏されたのは、ボブ・ディランのLike a rolling stone。 満を持してカバーしたこの曲の歌詞の中で、ミックは我々に問うわけですよ、 ”How does it feel?” と。 脇で見ていたりーだ(現妻)に、後で何度も何度もこの時の俺様の雄たけびの姿を幾度と無くからかわれ、笑われたもんである。
俺様はその時思ったものだ。 前提条件も、付帯条項も、免責事項も、制約条件も、基本契約も、瑕疵担保期間もなく、そして損得勘定とも一切関係なく、ただ単に ”好きだ” と思えるものがあるということ、そしてそれと出会えた幸運というものが、こんなに素晴らしいことなのか?と。 また、こんなにも人生に彩りを添えてくれるものなのか?と。
少なくとも当時の俺様にとっては、それがローリングストーンズであったわけだ。「神様、ストーンズをこの世にお創りになってくださってありがとう。そして、同時期にこの世に俺様を生んでくださって、ホントにありがとう。」と、とりあえず神様に心から感謝した。 このとき、喜び勇んで1万円というお金を使い、時間と労力を使って東京ドームに足を運び、俺様はこのスウィート・スポットに心からしびれるんだということで、自分の中の自分を一つ発見した。
Tags: お小遣い, ポートフォリオ, ローリング・ストーンズ, 可処分所得, 家計, 消費者心理, 自分探しの旅, 購入動機, 購買意欲