最初は会社にいた。
カフェテリアのような広い場所で、6人ずつ座れるようなテーブルが等間隔でいくつも配置されており、その一つで打ち合わせをしていた。
他の全てのテーブルでも打ち合わせをしているようだった。部屋全体がザワザワとうるさかった。
実際は、会社にそんな場所はないのだが、美人営業ピンキーが一緒にいたので、それは会社だったんだと思う。
まるで大部屋の中で大勢で研修を受けていて、この時間帯は数人ずつのグループに分かれてワークショップをしているかのような雰囲気である。
実は俺様あわわっちだけ、その段階で既に、この期の変わり目で他の部署への異動が言い渡されていた。そのことは俺様しか知らない。
部屋に女性アシスタントが入って来て、俺様達のテーブルに近づき、俺様の名前を告げた。
呼び出しである。ネガティブな雰囲気が覆う。
ピンキーが「何であわわっちだけ呼ばれるんですか?」と抗議した。
「良いんだ。突然異動が決まったんだ」とクールに言う俺。(ちょっとウェスタン風)
無表情を装うかのように部屋の出口のところまで行き、部屋全体を見回す俺様。
部屋は既に一体何事が起きてるんだ?起きようとしてるのか?という雰囲気で静まり返っている。
「長い間お世話になりました。」とだけ告げて、ペコリと頭を下げた。
引き戸の戸を開け外に出て、後ろ手に静かに戸を閉め、呼び出しに来たアシスタントと無言で部屋を去る。
閉じた扉の向こうから、「どうしたの?どうしたの?」という、この状況に対する筋の通った回答を求める声の数々が、くぐもって聞こえる。
部屋を出た後、アシスタントの先導で建物の階段を下る。
階段を下りているうちに女性アシスタントを見失ってしまい、俺様は一人ぼっちになってしまった。
いつのまにか、黒いビジネス用のキャリーケース(底に小さな車輪がついててガラガラ引きずるやつ)を手にしており、それはサイズ的にはさほど大きくは無いのだが、中にノートPC でも入っているのだろうか、結構重い。
早速着任先の部署に挨拶に行かなければならないのだが、それは別の建物なのか、交通手段を使って移動する距離なのかは不明だが、どうやら暗黙のうちに俺様はどこかに向かうことを指示されているようで、キャリーケースをガラガラと引きずりながら、建物の外に出た。
トボトボ歩いているうちに海岸に出たようで、足元が砂地になっていた。
九十九里浜のような一面砂浜という景色ではなく、どちらかというところどころに岩山が隆起しているような海岸地帯で、その急斜面をもつ小高い丘の数々は、天辺に木々が鬱蒼と生い茂っている。そのうちの一つ、高さ15メートルぐらいの岩山を右手に見ながらそれを回り込み、まさに波打ち際の砂浜に出たところで、そこに丹波哲郎がいた。
どうも丹波哲郎は、ウチの会社の相談役的重役なのかOBなようだ。
とにかく第一線は退いてはいる。以前は社内でかなりの影響力があったが、既に実質的な権限はもっと若い世代に委譲されている存在ということらしい。
「君にここに来てもらったのは他でもない。ちょっと個人的な頼みがあってね。」
と単刀直入に切り出された。
「ちょっと待ってください。私は異動先に挨拶しに行かなきゃならないんですよ。勘弁してください。」
と話をさえぎる俺様。
「そんなことは、私が言えばどうにでもなるんだよ。」
と、自身の影響力が依然強大であることを示唆する丹波氏。
とても丹波老師が現在もそこまで権勢を振るっているとは思えないし、面倒に巻き込まれるのも御免だったので、引き止める声もろくに聞かず砂浜を後にした。
丹波氏も意外とすぐに諦めて、俺様とは別方向に去っていき、すぐに姿が見えなくなった。
砂浜を後にすると、海岸道路に戻る道が分からなくなってしまった。
道に迷ったのだ。
来る時はあっという間に波打ち際まで出たのに、戻りはとても道のりが長い。
丹波氏と大慌てで分かれたことを少し後悔したが、今から言ってもしょうがない。
気付くと地面に大きな穴が空いているのが分かる。
直径数十メートルはあるだろうか。
深さは、計り知れない。暗くて底が見えないのだ。
穴の内壁は、砂が被っている箇所と岩肌が出ている箇所がある。
よく見ると岩肌は天然の岩肌と、人工的に組まれた黄土色の煉瓦壁との2種類があるようだ。
どうやら、古代に作られた巨大な煉瓦の建造物が、長い年月の末砂に埋もれ、今はこの穴からしかその内部を窺い知ることが出来ないような状況になっているようだ。
内部は綺麗な円筒形になっているわけではなく、非常に複雑な構造をしている。
その上、老朽化により相当量が崩れ落ちているため、座布団1枚分の煉瓦の塊から他の煉瓦の塊へ飛び移るように下っていくしか手は無い。
何故俺様はこの大きな穴を、リスクを冒しながら下っていかなければいけないのかが良く分からない。しかも、重いキャリーケースを抱えながら。
丹波氏の姿はもうどこにも見えない。
丹波氏を邪険に扱った罰なのだろうか。
1メートルぐらいの高低差のあるジャンプ・ダウンを幾つか勇気を振り絞って敢行したところで、俺様は不覚にもキャリーケースを落としてしまった。
複雑な構造体のせいで陰になり見えなかっただが、15メートルぐらい下に広場のようになっているような場所あるようで、キャリーケースはそこに落ちた。パソコンは無事だろうか。
取りに行かなければ。
何故この漆黒の闇にと繋がる穴を下らなければいけないのかという疑問を抱えながらここまでジャンプを繰り返してきたが、さし当たってキャリーケースがある広場までは下らなければという状況になってしまった。
気付くと周囲には外人ばかりいる。しかも白人の学生風の人たちばかり。
どうやらこの穴は観光名所らしく、外人が自身の運動能力や勇気を証明する名所として、キャッキャッキャッキャ言いながら、煉瓦の塊から煉瓦の塊へのジャンプを繰り返している。
俺様もそんな流れの中で数回ジャンプをしたが、これ以上はもう飛び移る候補地がないという状況に追い込まれてしまった。
飛び移るには遠すぎるのだ。
3メートルぐらい離れ、こちらから1.5メートルぐらい低い箇所がある。
ざっと見渡すと、広場に下りるための道筋はこのルートだけである。
長身の外人が1人、このジャンプを成功させた。
目測では俺には無理だ。
「このジャンプに失敗したら、下まで落ちる。良くて大怪我、悪くて死」
と判断する。
でも、キャリーケースを取りに行かなければ。
息が乱れてくるのが分かる。手に汗をかき始めるのが分かる。