Henry Pool is Here 観ました。 なかなか良かったです。
低予算の秀作にハリウッドの底力を見た
ストーリーは、言ってしまえばどうってことないんです。 でも個人的には好きな類の映画です。
不治の病に冒されたことが分かったビジネスマンの主人公ヘンリー・プールが、仕事も辞めて、自分が生まれ育った町に小さな一軒家を購入して引っ越してくる。 死ぬまでそこでヒッソリと暮らそうって腹です。 でも田舎町なんで、都会に住んでいたヘンリーとすれば、過剰なまでに親切な周囲の人々に徐々に翻弄されていく。
そんな時に、ヘンリーのこの家の外壁に現れた染みが、キリストの影だ、奇跡だってことになり… って話です。
奇跡なんてあるわけがないとか、あんな田舎町にあんな美人なシングル・マザーが住んでるわけがねぇ(笑)とか、色々突っ込みどころはあるんだけど、この映画は結論とかオチがどうとかってことではなくて、その世界観(映像が青みがかかっていて綺麗でしたね)にどっぷり浸って、その空気を吸い込むようにして愉しむ作品だと思います。 ある種観ている時のプロセスを愉しむみたいなね。
外出するのも疲れるし、かといってアクション映画も飽きたしなんて人が、休日の午後とかに、ビールでも飲みながら大切な人とのんびり観るのが良いんじゃないですかね。
Tags: キリスト, 低予算, 奇跡
ウォーリー (原題: WALL・E)観ました。 面白かったです。
デカルトの二元論に対するアンチテーゼ
舞台は人類がいなくなった29世紀の地球。 700年間一人ぼっちで生きてきた(?)、ウォーリーという名前のゴミ処理用のロボットのお話です。 陽気で人懐っこく、ちょっぴりコケティッシュなこのロボット、ウォーリーが、とうの昔に地球を捨てた人類と再会し、その未来の地球人に多大なる影響を与えていくっていうストーリーです。
はい、簡潔に言いましょう、さっすが、PIXAR です。 本作独自のキャラクターやストーリーという方言に関係なく、PIXAR ならではの共通語により、一定レベルの満足度が得られることは間違いありません。 過去にウッディやバズ・ライトイヤー、ライトニング・マックィーンという擬人化されたヒーローを生んできたこの製作会社が、今回のウォーリーをスターダムに押し上げるかどうかはこれからですかね?
今回、個人的に俺様がこの映画から強く感じたのは、二元論に対する真っ向からのNO! というメッセージです。 それを、肉体、精神のどちらも持たないWALL・Eというロボットが、面白おかしく提示していくという、ある種のパラドックスが楽しかったですね。
以下は、ちょっとネタバレですが、、、、
ダンスが魂を揺さぶる時、そこには生の肉体があるはず
29世紀の人類は、オデブちゃんばかりなんです。要はみんな肥満体なんです。 どうしてかって言うと、機械の高度な発達により、人類は歩く必要すら無くなったからです。 全員ソファーベッドみたいな地上数十センチに浮いたリクライニング・チェアに一日中乗っかっていて、どこに行くにもそれが自分の体を運んでくれるし、食事も勝手に作られて提供されるような世界が実現されているので、全く運動しないので太る一方なんです。
つまり、その未来の人類においての人類観、価値観というのは、完全にデカルトが提唱した二元論に基づいており、「精神」と「肉体」は全くの別物であると捉えられてるってことなんだと思います。 そこでは、人間の本質は非物質的なところに昇華された「精神」であり、「肉体」は付随的なモノに過ぎない。なので、肉体という物質的なモノの美醜は議論の対象外である。という人類観、世界観です。
でも、認知神経科学による医学的な説明を待たずしても、これって直感的に誤りだって分かりますよね。 「健全な精神は、健全な肉体に宿る」ってやつです。 精神は、机に座ってマンジリと考えることで高められていくって側面ももちろんありますが、体を動かしてその結果の疲労や達成感、爽快感、ホントの痛みとかによって高められていく側面もあるわけです。 この辺りは、「バカの壁」とかでの養老孟司先生の説明を読まれた方がスッキリすると思いますが(笑)
とにかく、精神至上主義という誤った方向でファイン・チューニングされた人類や、その価値観に対してアンチ・テーゼを突きつけるのが、(ホントは)肉体も精神も持たないロボットのWALL・Eだっていう、ちょっと皮肉めいた設定に、擬人化の仕事師集団のPIXAR ならではの匠の技があるな!とニンマリとしてこの映画を楽しみました。
お金払って見る価値ありですね。
Tags: PIXAR, アンチテーゼ, デカルト, バカの壁, 二元論, 擬人化, 精神, 肉体, 養老孟司