[チェイシング・エイミー]

番記者:あわわっち

2009年3月22日(日曜日) | カテゴリ: 映画レビュー

チェイシング・エイミーを観ました。
1997年、ベン・アフレックが主演の映画。

僅かと言うべきか、もうと言うべきか、12年前の作品です。
アフレックがまだ若いです。

そして、本作ですが、
非常に面白いです。秀作です。お勧めです。

我々が、ビジネスの世界で活動する上で、以下のようなことが繰り返し言われます。
(政治の世界でも言われているのかな?)
 What (目的、目標)を明確にしなさい。
 そして、How(そこに行き着くための方法)を考えなさい。
と。
この基本が中々できない。
 Whatを明確にする、あるいは共通認識にすることなく、Howの議論ばかりしてしまう
失敗があまりに多くて、異口同音に声高に叫ばれている鉄則です。
迷走する会議の一番の要因はこれ。

映画も同じじゃないですかね。
何を描きたいか、どんなメッセージを伝えたいのかの一番大事な腰がブレたまま、撮影技法や、アクションや、映像処理やら、編集やらのテクにばかり意識が行くと、つまらない映画が出来上がりますよね。
とくにアクション大作。
ローグ・アサシンとかもまさにそうですね(あれは役者が大根なのかな?)

でも、低予算でもキラっと光る映画って、
 コレを!
っていうメッセージ、う~ん、っていうか物事の本質を、検証して、検証して、検証して、多面的に何度も見直して。
今度はそれを一風変わったスパイスの効いた炙り出し方、ちょっと側面から視点をズラして光を当てるようなアプローチをして来ますよね。

本作がまさにそれ。

この映画のテーマは、俺様の目には
 ”純愛”
だと映りましたが、ご覧になった方はいかがですか?

恋愛感情と相手の性的嗜好との間で苦悩する主人公ホールデン(ベン・アフレック)、一度は克服したかのように思われたが、実はもっと深い迷宮がその先に待っている。ここまでエグくないにしても、嫉妬心やどうしても気になってしまう相手の過去とか、同じような経験って我々にもないですかね?
相手のことが好きで好きでどうしようもない。確かに愛しているんだけれども、どうしても心の中の雑音を無視できない、呪縛から逃れることができない。そこから抜け出す術を模索するホールデン。切ないですね。
そんなことはどうでも良いんだよ!愛しているんだよ!それが全てなんだよ、という相手の女性アリッサ(ジョーイ・ローレン・アダムス)の悲痛な叫びに真理が潜んでいるんだろうけど、なかなかそこまで行き着けないですね、人間の気持ちは。

とっても面白い映画です。

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