[青春、10代、一所懸命についての考察(その2)]

番記者:あわわっち

2010年8月21日(土曜日) | カテゴリ: 生活

昨日は、トップ・アスリートの例として、今年のツール・ド・フランスで、2年連続3度目の総合優勝を果たしたアルベルト・コンタドールの話を書きましたが・・・

普通はバランスが大事

では、普通のパンピー(一般人)である俺様の生活、人生はどうであろうか?というお話。

結論を申し上げれば、何かを犠牲にしたりはしていない。
むしろ犠牲を作らないようにしている。

もちろんある程度の選択と集中は必要なので、必要以上に無意味なことをし過ぎないよう(例えば酒を飲み過ぎない)にして、本来やるべきことにより時間や労力を割くようにするといった意識付けは社会人として必要である。

でも、このような状況に対して、「何かを犠牲にして」という表現が当てはまるかというとそんなことはない。それでは違和感たっぷりだ。犠牲とまでは呼ばない。

むしろ、何物も犠牲にしないように上手にバランスを取りながら生きている、生きようとしているという方がシックリ来るかも知れない。

仕事も頑張る。家族のことも大切にする。自分の時間も大事にする。
仕事においては、自身の成績も大事だし、周囲との協調も忘れてはいけない。目の前の結果だけではなく、中長期的な視野で後進の指導にも気を配らなければならない。家庭では妻のこと、子供達一人一人のことを考えないといけないし、家族の一員とは言え、自身の個人的な興味にも少しは時間を割きたい。

てな具合に、何かを犠牲にしないように上手に時間や労力を配分していく、そのバランスにこそ、人生の妙とでも言いましょうか、焦点があるように思う。

その瞬間、その瞬間にはベストを尽くしている、それは決してウソではないのだが、これを一所懸命と呼んだら罰が当たるんじゃないか、アスリートに申し訳ないのではないかとストイックに考えたりする。

「サッカー選手になった以上、24時間寝ても覚めてもサッカーのことを考えているようじゃないとダメだ!」なんて言葉を耳にするけど、普通のサラリーマンは、仕事を離れたら、仕事のことを一切考えない、忘れる能力の方が長く生き延びる上で大事だったりするし。

そもそも、もし周囲のことは雑念として忘れて貰って構わないから、仕事にだけ集中しても良いよ。すなわち、仕事に関する一所懸命を実現してあげるよなんて言われて嬉しいかというと、申し訳ないけど俺様は全くそんなことはない。少なくとも今の仕事に対しては勘弁してくれって感じだ。

程度の差こそあれ、一般の勤め人の感覚というのは、俺様と大体同じじゃなかろうか?
仕事に面白味ややりがいは感じるけれども、生活の100%が仕事で覆い尽くされる、あるいは全てが仕事を中心に回っていく人生という事態を望むかというと、答えはNoなんじゃないだろうか?

だから我々は、野球バカかも知れない、サッカーバカかも知れない、自転車バカかも知れない存在、すなわち人より秀でたポイント以外は、人より遙かに劣るような偏った才能の持ち主であっても、人間としての一定の礼節をわきまえてさえいてくれれば、目に見えないところでの研鑽に明に暗に思いを馳せながら、彼ら彼女らが披露してくれる美技に熱狂を持って酔いしれ、そして彼ら彼女ら自身に対して、称賛と尊敬の念を投げかけることが出来るのではないかと思う。
手放しに
 「すげぇー」
と。

つづく。

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