映画

The Godfather: The Coppola Restoration

2009年1月1日(木曜日) | 映画, 生活 | 2件のコメント

皆さん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

さて、俺様ことあわわっちですが、年末からずっとThe Godfather のDVDを観てます。
新年一発目は、そのお話。

実は俺様クリスマス(12月25日)が誕生日でございまして、昨年のクリスマスに
 The Godfather The Coppola Restoration
というDVDセットをGet しました。
えへへ、ご褒美、ご褒美。
で、これを少しずつ観てます。

俺様、こう見えても実は(自称)映画ファンでございまして、数多くの映画を観てきましたが、その中でもとりわけ、ってゆーか個人的なNo.1 は何と言っても、この The Godfather です。
いままでDVD 等を持っていなかったことが不思議なぐらいです。
昨年10月ぐらいですかね、このセットがリリースされて、各作品公開当時のシンプルな編集で、かつ特典映像があるってことでずっと入手を検討しておりました。

お誕生日に入手して以来、差し当たりPart 1 とPart 2 を観て、続いてPart 2 をコッポラ監督の解説音声付で観て、更にPart 1 をこの解説音声付きで観ました。そんなこんなで新年を迎えております、はい。

文化人類論的見地に立って言うと、不思議と言うか、悲しいかなというか、いつも思い当たることがあります。
それは、子供が出来ると、親としての個人的な趣向というのはホントに後回しになってしまうということです。
もちろん、個人的な差異というのは存在するはずなので、賛同される方もいらっしゃるでしょうし、否定される方もおられるでしょう、ただ個人的なことを言うと、ロックとハリウッド映画とラグビーというのが、若き日の俺様の人生に多大な影響を与えた三大要素で、それらと俺様との蜜月は永遠だろうと感じていました。
しかし結婚して子供が出来て、しかも立て続けに子供が出来ちゃったりすると、それらを楽しむ時間なんてとてもありません。気持もあまりそちらに向かなくなります。
これは何故なんでしょうね?

そんなこんなで、あれだけ名作と思っていたGodfather シリーズをまともに落ち着いて観たのは、実に6,7年ぶりなんじゃないかなと思います。たまたま前回TV放映で観た記録がありましたが、平成14年の5月以来のようです。(記録というのはこれです。)

で、改めて観てみましたが、これまでになく感動しました。
グッと来ました。
涙が出ました。

俺様ごときが敢えて描写するまでもなく、Godfather は家族の物語です。
Part 1の主演はマーロン・ブランドーということで、オスカーも受賞してますが、俺様個人としてはシリーズを通して主演は一貫してアル・パチーノだと思っています。一般的にブランドーが主演と言われているPart 1も、ブランドー扮するドン・ヴィトーが権勢を振るう時代のシーンの数々も、二代目ドン・マイケルとの対比を描くための、あるいは古き良き(?)マフィアの時代をコンセンサスとして観客に紹介する、ある種の前振りだと思っています(言うまでも無く、ブランドーの演技の存在感は半端じゃありませんが)。
そして、マイケルが賢く冷静で、強いドンの役回りを”ファミリー”の中で担えば担うほど、家族との溝が深まっていく皮肉な様が描かれているというのが、俺様のGodfather に対する個人的な理解です。

で、実際に自分が家族を持つようになって、生涯何度目になるか分からない、この物語の視聴をしてみると、自分のちっぽけな平穏無事な個人生活と重なる部分は実際には殆ど無いのだけれど、やっぱりそれなりに感じるところは、若いときにもっと自由に繰り返し繰り返しこの映画を観ていた頃とはずいぶんと異なりました。

さらに言うと、
コッポラ監督の音声解説といのが、これまたイケてまして、とても感激しました。
The Godfather Part 1 とPart 2 が製作されたのは、1972年と75年。俺様が0歳と3歳の時に当たります。
なので、この映画をTV放映で初めて観た時というのは、確か小学校高学年の頃だったと記憶しているので、既に時は80年代に入っていたと思います。つまり、この2作品に対する名作としての評価は既に巷間で確立していたのは、想像に難くありません。

3作品に関するコッポラ監督の音声解説がいつ録音されたものなのかは正確には分かりませんが、Part 3までの評価が確定した後であることはその口ぶりから明らかです。
そして、特にPart 1 に関する音声解説では顕著ですが、当時30歳そこそこのコッポラ監督が、大した金も無く3人の幼い子供たちを抱え(一人はご存知後のソフィア・コッポラ監督)、まだまだ無名であるが故に製作会社のパラマウントからの、監督解雇を含めた執拗なプレッシャーにさらされながら、低予算の枠内でこの非常に複雑なストーリーを必死になって描き上げようとしてしていたことが伺え、とても感激しました。

本人がオーディションで発掘した掘り出し物的な俳優も含めて、才能豊かな俳優陣と、衣装や小道具、美術、撮影といった優秀なスタッフへの感謝の言葉が何度も何度も述べられています。

巨匠としての名声を欲しい侭にしているという印象しか、コッポラ監督に対して抱いていなかったので、製作秘話はもちろんのこと、エキストラとして自身の両親や知人が至る所で出演している話とか、自身の家族観みたいなものを象徴する演出をあらゆる場面に散りばめていること、原作にないシーン、あるいは原作にない演出を入れた理由(もちろん、俺様は原作も読んでます)等々が語られていて、その産みの苦しみと言うか、苦心の断片を聞いていると、なんだか36歳になったばかりの俺様としてはとても勇気が湧いてきました。
お好きな方にはお勧めです。

最後に、
個人的に長年謎だったポイントが明らかになってスッキリしてます。
それはPart 2のほぼエンディングのシーンで、ドン・ヴィトーの誕生日をサプライズで祝うために、家族が集ったことをマイケルが回顧するシーンがあるのをご記憶でしょうか?
上手いことパパには外出してもらってあって、食器やロウソクが綺麗に並んだダイニングテーブルに、ソニー、トム、フレドー、マイケル、コニーの兄妹、後のコニーの夫になるカルロ、誕生日ケーキを買ってきたファミリーの重鎮テシオが集うシーンです。
そのドンの誕生日は、日本海軍が真珠湾を奇襲した直後という設定で、マイケルが家族に何も相談もせずに海軍に入隊したことが告げられるシーンでもあります。そして、ドンの帰宅に合わせて家族は玄関に一家の大黒柱をサプライズとして迎えに行ったにも拘わらず、マイケルだけがテーブルで一人孤独に酒を飲み続ける象徴的な演出です。

俺様は、このシーンをPart 1製作時に撮影したのか、Part 2製作時に撮影したのかがずっとずっと謎でした。
Part 1 時なら、この一家の崩壊(マイケル自身が遠ざけていく義兄トムも含めて、後に全員が身の回りにいなくなってしまうことを暗示している)をとても象徴的に表現している、こんな重要なシーンをお蔵入りさせていたことになるし、Part 2 時なら、ソニー役のジェームズ・カーンを筆頭に、Part 2 の他の場面には一切出演していない俳優を3人もこのシーンのためだけに再招集したことになります。

でっ、正解は、Part 2時だそうです。
マーロン・ブランドー以外は快く再召集に応じてくれたことにより、このシーンは実現したそうです!!

色々書くと、思い入れが強くて長くなっちゃうので、この辺で(十分長いって?)。

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ウォンテッド

2008年12月6日(土曜日) | 映画レビュー | コメントはまだありません

「ウォンテッド」(原題: Wanted)観ました。
面白いです。


「マトリックス」と「ファイトクラブ」を足して2で割ったような世界観
 

マトリックス(1作目)とファイトクラブを足して2で割ったようなイメージですかね。
これら2作を初めて観た時の衝撃には劣るような気がしますが、マトリックスの続編2作よりは遥かに面白いです。

暴力描写がお嫌いな方、子供にはお勧めできません。
マトリックスを髣髴とさせるアクション描写よりも、ファイトクラブを髣髴とさせるパイオレンス描写に耐えられないでしょう。

「ナイト・ウォッチ」(残念ながら俺様はまだ観てません)で名を馳せたロシア人のティムール・ベクマンベトフ監督、制作費7,500万ドルという、最近にしては比較的低予算で映画化した作品です。
過剰なバイオレンス描写が受けたというのが本作品の一般的な評価ですが、俺様個人としては、それよりも独自の世界観を描き切ったところ評価したいです。
本作で描かれている独特の世界のリアリティを、アンジェリーナ・ジョリーとモーガン・フリーマンの演技力、そしてベクマンベトフ監督の演出が裏打ちしていると見てます。
正直(もう1人の)主演のジェームズ・マカヴォイの存在感は今ひとつでした。

続編の製作も既に決まっているようですが、マトリックスのようにならないことを願うばかりです。
アクション&バイオレンス映画がお好きな人にはお勧め!

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Henry Pool is Here

2008年11月28日(金曜日) | 映画レビュー | コメントはまだありません

Henry Pool is Here 観ました。
なかなか良かったです。

低予算の秀作にハリウッドの底力を見た

ストーリーは、言ってしまえばどうってことないんです。
でも個人的には好きな類の映画です。

不治の病に冒されたことが分かったビジネスマンの主人公ヘンリー・プールが、仕事も辞めて、自分が生まれ育った町に小さな一軒家を購入して引っ越してくる。
死ぬまでそこでヒッソリと暮らそうって腹です。
でも田舎町なんで、都会に住んでいたヘンリーとすれば、過剰なまでに親切な周囲の人々に徐々に翻弄されていく。

そんな時に、ヘンリーのこの家の外壁に現れた染みが、キリストの影だ、奇跡だってことになり…
って話です。

奇跡なんてあるわけがないとか、あんな田舎町にあんな美人なシングル・マザーが住んでるわけがねぇ(笑)とか、色々突っ込みどころはあるんだけど、この映画は結論とかオチがどうとかってことではなくて、その世界観(映像が青みがかかっていて綺麗でしたね)にどっぷり浸って、その空気を吸い込むようにして愉しむ作品だと思います。
ある種観ている時のプロセスを愉しむみたいなね。

外出するのも疲れるし、かといってアクション映画も飽きたしなんて人が、休日の午後とかに、ビールでも飲みながら大切な人とのんびり観るのが良いんじゃないですかね。

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ウォーリー

2008年11月28日(金曜日) | 映画レビュー | 3件のコメント

ウォーリー (原題: WALL・E)観ました。
面白かったです。

デカルトの二元論に対するアンチテーゼ

舞台は人類がいなくなった29世紀の地球。
700年間一人ぼっちで生きてきた(?)、ウォーリーという名前のゴミ処理用のロボットのお話です。
陽気で人懐っこく、ちょっぴりコケティッシュなこのロボット、ウォーリーが、とうの昔に地球を捨てた人類と再会し、その未来の地球人に多大なる影響を与えていくっていうストーリーです。

はい、簡潔に言いましょう、さっすが、PIXAR です。
本作独自のキャラクターやストーリーという方言に関係なく、PIXAR ならではの共通語により、一定レベルの満足度が得られることは間違いありません。
過去にウッディやバズ・ライトイヤー、ライトニング・マックィーンという擬人化されたヒーローを生んできたこの製作会社が、今回のウォーリーをスターダムに押し上げるかどうかはこれからですかね?

今回、個人的に俺様がこの映画から強く感じたのは、二元論に対する真っ向からのNO! というメッセージです。
それを、肉体、精神のどちらも持たないWALL・Eというロボットが、面白おかしく提示していくという、ある種のパラドックスが楽しかったですね。

以下は、ちょっとネタバレですが、、、、

ダンスが魂を揺さぶる時、そこには生の肉体があるはず

29世紀の人類は、オデブちゃんばかりなんです。要はみんな肥満体なんです。
どうしてかって言うと、機械の高度な発達により、人類は歩く必要すら無くなったからです。
全員ソファーベッドみたいな地上数十センチに浮いたリクライニング・チェアに一日中乗っかっていて、どこに行くにもそれが自分の体を運んでくれるし、食事も勝手に作られて提供されるような世界が実現されているので、全く運動しないので太る一方なんです。

つまり、その未来の人類においての人類観、価値観というのは、完全にデカルトが提唱した二元論に基づいており、「精神」と「肉体」は全くの別物であると捉えられてるってことなんだと思います。
そこでは、人間の本質は非物質的なところに昇華された「精神」であり、「肉体」は付随的なモノに過ぎない。なので、肉体という物質的なモノの美醜は議論の対象外である。という人類観、世界観です。

でも、認知神経科学による医学的な説明を待たずしても、これって直感的に誤りだって分かりますよね。
「健全な精神は、健全な肉体に宿る」ってやつです。
精神は、机に座ってマンジリと考えることで高められていくって側面ももちろんありますが、体を動かしてその結果の疲労や達成感、爽快感、ホントの痛みとかによって高められていく側面もあるわけです。
この辺りは、「バカの壁」とかでの養老孟司先生の説明を読まれた方がスッキリすると思いますが(笑)

とにかく、精神至上主義という誤った方向でファイン・チューニングされた人類や、その価値観に対してアンチ・テーゼを突きつけるのが、(ホントは)肉体も精神も持たないロボットのWALL・Eだっていう、ちょっと皮肉めいた設定に、擬人化の仕事師集団のPIXAR ならではの匠の技があるな!とニンマリとしてこの映画を楽しみました。

お金払って見る価値ありですね。

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トロピック・サンダー/史上最低の作戦

2008年11月27日(木曜日) | 映画レビュー | コメントはまだありません

トロピック・サンダー/史上最低の作戦(原題:Tropic Thunder) 観ました。

ハッキリ言って下らないです。
でも、面白い。

ホントにここまでやるか、普通?

ホントに、ここまでやるか、普通?って思わせるぐらい下らないです。
ここまで突き抜けて下らないと、もはやすがすがしささえ感じますね。
お金払って観る価値あります。

ベン・スティラーってすごいですね。新時代のコメディ王かもしれない。
こういった正統派コメディとオフビート・コメディの中庸のバランスを取らせたら、ピカイチですね。
うん、バランス感覚が良い。
「プラトーン」や「地獄の黙示録」への愛情も感じます。

個人的には、ロバート・ダウニー・Jr のネチッこい、ネチっこい黒人キャラの演技がハマってしまいました。

あと、本作への有名俳優のカメオ出演が話題になっていますが、
これ、もはやカメオ出演のレベルじゃないですよ!!
エンドロールの時のバックに流れる、カメオ出演の超トップスターのダンスは”気持ち悪さ”は必見です!!
演技自体も、普段のこの俳優へのイメージを破る非常に下品な型破りな演出に、”カメオ出演”でこそ出来る(?)枠に囚われない奔放なスタイルを垣間見ることができますね。

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Swing Vote

2008年11月27日(木曜日) | 映画レビュー | コメントはまだありません

「Swing Vote」観ました。
面白いです。

大統領選挙の年には、誰もがクレイジーになる

アメリカでは「大統領選挙の年には誰もがクレイジーになる」なんて言ったりするらしいですね。
他の3年間ではあり得ないようなことが平気で起こると、それが選挙の年だと。

Swing Vote っていうのは”浮動票”のことです。
あらすじは、投票日まで接戦を繰り広げた現職共和党候補と民主党候補の運命を握っているのは、投票マシンの誤作動に端を発する紆余曲折により、ケビン・コスナー扮するニュー・メキシコ州の田舎の飲んだくれの超ダメ親父の1票(浮動票)になっちゃうって設定、最高ですね。この皮肉な話を聞くだけでも微笑んじゃうもんね。

ケビン・コスナーって俳優は、屈折したヒーロー観を持ってるんですかね?
「ウォーター・ワールド」とか「ポストマン」とか、後で自分で落ち着いて観たら自殺したくなっちゃうんじゃないかな?ってこっちが心配しちゃうような迷作に出てますよね。出たっていうより、創作しようとしてましたよね。

でも、筋というか背骨が元々しっかりしている作品に出ると、物凄い力を発揮しますね。
不思議な人だ。
本作がその典型だと思う。

ちょっと現実ではあり得ない設定に振り子をグググッと思い切って振ることによって、かえって物事の本質が浮き彫りになるっていう、映画特有の魔法がそこにはあって、とっても好感が持てる作品です。
親子の絆であったり、主義主張をぶつけ合って前向きに議論する民主主義の尊さであったり、あるいはそこで信念を貫く勇気であったり、大きな理想を具現化するために人は、その手前でどこまで妥協すれば良いのか?とかね。
なにより、作品中でも触れられてますが、「1票の重み」が再認識させられますね。

宗教や文化、育った環境によって物事の捉え方は異なりますが、世の中、人生が不平等なのは動かしがたい事実ですね。
そんな中で与えられた環境とか、才能とか、チャンスとか、アメリカ人的に言うと”天から与えられた物”についても、割りと明るく考えさせられる、そんな映画でもあります。

映画館で観る必要は無いかもしれないけど、秀作です。

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マンマ・ミーア!

2008年11月27日(木曜日) | 映画レビュー | 2件のコメント

「マンマ・ミーア!」観ました。
Ooooops!

醜悪なドタバタ劇

ハッキリ言ってお勧めしません。
少なくとも、大金払って映画館で観る必要はありません。
後半になるに従って加速度的にその傾向が強まる醜悪なドタバタ劇に、正直ウンザリすると思います。

俺様自身があまりミュージカルが好きでないという点を差し引いて考えても駄作だと思います。
製作総指揮にトム・ハンクスが名を連ねている意味は何なんだ?

映画というのは、個人的には
 「映画は現実より奇なり」
という点を如何にリアルに描けるか?という逆説的勝負で真価が問われるアートであり、そこのポイントにおいて脚本家や監督、あるいは出演者の腕を競い合うものと考えています。

誰かに恋をした時に、思わず踊りだしたくなるような気持ち、歌い出したくなるような気持ち、分かります。
悲しい思いをした時、辛い思いをした時、切ないメロディーに身を委ねたくなる気持ち、解ります。
自分や誰かを鼓舞したい時、ビートの効いたナンバーでシャウトしたくなる気持ち、判ります。
だから、それらをスクリーンを通して表現しようとした時、台詞を踊りとメロディーに乗せるという演出が、かえってその人々の心情を”リアル”に伝えるであろうという表現手法自体は否定しません。(つまり、ミュージカルだって立派なリアリティ演出手法だってこと)

でも、この映画のクオリティは低い。

「母子家庭で育った結婚間近の20歳前後の女性が、自分の父親は誰なのか?という自分のルーツを探る心の旅を思いついた時、その候補者が3人いた」というあらすじから俺様が想起するのは、秀作「スリーメン・アンド・ベイビー」、「スリーメン・アンド・リトル・レイディー」の20年後、15年後という後日譚である。同じ感想を抱いた方も多いんじゃないかな?
あの2作の成功は、3人の男性(パパ候補)のキャラクターを丁寧な演出で描き上げたことに立脚しているんじゃないかな?だからドタバタさに裏付けが生まれ、観るものに”実感”という共感を生んだんだと思う。

でも本作では、ピアース・ブロスナン、コリン・ファース、ステラン・スカルスガルドという、(個人的に思うに)個性派実力者を3人も揃えながら、3人のキャラやルーツ及びバックボーンを示すヒントは、似合わないカツラを被った古い思い出写真っていうだけじゃ、何ともエッジが立ちませんよね。
特にステラン・スカルスガルドの扱いが残念でしたね。
「グッドウィル・ハンティング」で、虚栄の名誉など自分の人生を豊かにするためには何の役にも立たないということを薄々知りながら、どうしてもスノビッシュな態度を取り続けてしまい、ロビン・ウィリアムズ扮する旧友の自然体先生と反目しあう演技なんて、おおおお!って感じで、あの映画のリアリティを数段高めてましたよね。

本作、マンマ・ミーア!にはそういう丁寧な掘り下げるような演出がなくて、つまらないです。
誇張じゃなくて、観てて最後吐き気がしました(ごめんなさい)。

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