音楽

スーパー・マリオ

2008年11月19日(水曜日) | 音楽 | コメントはまだありません

これすげーー!!

でも、このwww.zackkim.com はURL が名前解決できずに接続できないですね…

Tags: , ,

Friday Night Fantasy

2008年11月19日(水曜日) | 音楽 | コメントはまだありません

たまに聴きたくなりますね。
今朝、無性に聴きたくなって、ずっと口ずさんでました。

何のこっちゃって思う人は、
一番、馴染みのあるこの演奏を聴けば、一目瞭然(一聴瞭然!)です。

そして、フルバージョンはこれ。

個人的にかなり気に入ってるのは、これ!

ホントかどうか、いまひとつ真贋の程を確認できてないのですが、
この曲って「音の印象派」と言われるピエール・ポルトって方が、金曜ロードショーのために作った、この番組オリジナルソングなんだって。演奏は、ピエール・ポルト・オーケストラです。

Tags: , , , ,

August Rush 奇跡のシンフォニー

2008年11月4日(火曜日) | 子育て, 映画レビュー, 音楽 | コメントはまだありません

昨年公開の「奇跡のシンフォニー」、先月DVDレンタル開始になりましたね。この連休に観ました。

やっぱり映画館で観ればよかったな、と思いました。音響の良いところで、フレディ・ハイモアの楽しそうにギターを弾く(本人が弾いてないと思うのですが、かわいいから♪)音楽を聞いてみたかったなーと思いました。神童ぶりを現したかったのだとは思いますが、ちょっと色々やりすぎなところは気になりましたが。。。涙腺が弱い私は、ちょっと突っ込みながらも、泣き通しでした。

「オリバー・ツイスト」の音楽版という感じも受けました、オリバー・ツイスト好きな方にもお勧めです☆

公式サイト http://www.kiseki-symphony.com/

参考 「オリバー・ツイスト」紹介 http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5463

Tags: ,

あわわっち的文化人類論 (その2)

2008年10月29日(水曜日) | お金, 生活, 音楽 | 2件のコメント

今回は、消費者の購入動機、その心理の根幹について、個人の経験に基づいて考えてみたいと思います。

 
可処分所得用途のポートフォリオ
 

皆さんは、家計簿やお小遣い張の類はマメに付けてますか?
俺様は、その手の物をキチンと付けられたためしがないです。なので、自分がどんなことにお金を使っているか、使い過ぎてないか?もっとお金を掛けるべきところにケチってないか?ということを細かく把握できておらず、自ずとそれらの反省により行動パターン修正するなんてことにならないので、常に行き当たりバッタリでお小遣いを使ってます。

かっこ付けてポートフォリオなんて書きましたが、要は食費とか通信費とか交際費とか書籍代とかの、可処分所得内での割合ですよね。どう按分してお金をつかっているのか?
細かくは見えてませんが、大まかに言って自分のお小遣いの使い道を以下の2つに分けるのが個人的にはシックリ来ます。

  • 使う必要のある出費: 食費、交通費 etc…
  • 使う必要のない出費: 飲み代、映画代、楽曲代、書籍代 etc…

ここで俺様が何が言いたいかって言うと、必要経費的に毎月固定で出て行く前者のお金に対しては特に感慨を持たないが、後者の出費って言うのは消費時の状況や心持ちによって全然感覚(出費時の痛み)が違ってくるよなーってことです。
自分が欲しいと思って買ったCDとか本とかは、人間って結構高額であっても喜んでお金を使うけれども、義理や付き合いの要素が含まれてくると、その出費の大きさに応じてイタタタタって気持ちになるよなぁってことです。
この使う必要のない出費をもう一段階細分化した時の、
 「誰にも強制されていないのに好きで使うお金」
っていうのに注目したいんです。

その喜んでお金を使うっていう際の購買意欲というか、購入動機というか、消費者心理によーく目を凝らすと、人間が自身の生命を維持するために必要な活動とは非常に遠いところでお金を使っているような気がしませんか?
好きなアーティストのコンサートに行く、好きな画家の(レプリカとはいえ)絵を部屋に飾る、評判の良いレストランで食事をする、好きな女性に花を贈る、好きなブランドの服を買うといった消費活動を想像して言っています。
これらって、生きるか死ぬかのプリミティブなボーダーラインより、大きく遊離したというか昇華したエリアの話と捉えることが出来ると思うんですよね。
もちろん、食事をするとか服を買うとかは生きるために必要な活動だけど、より快適なサービスを受けられる環境(レストラン)でご飯を食べるとか、より美しい衣服(単純原価より遥かに高価)を身にまといたいという要素が多分に含まれていて、単に機能面を追及するだけではない部分に、好んで我々はお金を使っていると言える。

こうして整理してみると、「必要か必要でないか?」と問われれば、全然必要ではないのに、あるいは必要ではないレベルの物なのに、その不要な”モノ”や”サービス”に対して、我々は汗水たらして働いて得た貴重なお金を、”好き好んで”使っているという構図が見えてきます。
何故なんでしょうね?

 
自分探しの旅: 好き/嫌いに理由なし
 

俺様は、この理由は、自己のアイデンティティの確立と密接に関わっているんじゃないか?と捉えています。
つまり、ちょっと比喩的な表現を使うと、好きなモノやサービスを好き勝手に消費することにより、人は”自分探しの旅”を続けているんじゃないか?ということです。

学生時代数学や物理という科目が好きだったか嫌いだったか?というのには、結構明確な理由って存在すると思います。得手不得手という一番分かり易い観点や、有能な教育者との出会いのお陰で数学というものの見え方がガラリと変わったとかね。結構核心に迫る理由があるような気がする。
でも、ビートルズの音楽、ゴーギャンの絵、北野武の映画、村上春樹の小説、ベルサーチの服が好きか嫌いか?というのには、理由というものは明確に存在しないと思う。単に好きか嫌いかの直感がまず先にあって、その後にどうしてかな?と考えた時に、自分の中のこういう部分と共鳴するからなのかなという、”裏付け的な理由”が”後追い”で付いてくるんじゃなかろうか?と思う。

自分自身の音楽に関する趣向を通して考えてみる。
俺様は1972年生まれなので、ティーンエイジャーになった時に、1982年だった訳だ。
当時といえば、Duran Duran とかWham!、カルチャー・クラブとか言った80年代特有の無反省な(?)ポップ・カルチャーが音楽シーンを席巻し始めていた。イギリス発のモノが多かったのかな。周囲の影響もあり、俺様はそんな時代の空気をたっぷり吸って育った訳だ。
時代は80年代後半に入り、こちらも高校生ぐらいになるとちょっと趣向も変わってくる。
俺様自身も歳と共に(多分に漏れず)よりハードなモノを求めたのと、時代の流れが合致したのとで、アメリカ発のハードロックを良く聴いていた。ヴァン・ヘイレン、ボン・ジョビ、モトリー・クルー、ガンズ・アンド・ローゼス、ポイズンとかね。セックスとドラッグとバイオレンス!!
歌詞やファッション、メディアを通じてこぼれてくるゴシップもその手の類の話が多かった。そんな世界観もひっくるめて良く聴きました。

ただ、これらの流れとは別に古いロックも大好きで、特にローリング・ストーンズをひたすらひたすら聴くようになっていった。
ストーンズの音楽というのは、基本的には非常に渋いので、パッと聴いて惚れ込むという類のものではないと思う。だから、何故俺様がストーンズを心の中のNo.1 にしたのか?するようになるキッカケがあったのか?は基本的に良く分からない。

聴けば聴くほど味が出る楽曲が多くて、それらはシングルカットされていることの方がむしろ少ないので、アルバムをお小遣いと相談しながら買い集めて、何度も何度もそれらを聴いた。そして、何度も聴いた曲であるのに、ある時また新しい発見があったりすると、「かっこいいーー」と文字通りシビれたりもした。

でも、それって相当聴き込まないと起きない現象なので、最初に俺様の心を捉えた何かは、やはり直感によるものだったんだと思う。そして、聴き重ねるうちに、何かが俺様を捉えて、よりハマリ込んで行くというのも直感によるもので、ここにもやはり理由なんて無いんじゃないかな。上手く説明できないもの。
ストーンズは、世界で最も偉大なロックンロールバンドとして既にそこに存在していて、ストーンズが好きな高校生の俺様がやはりそこに存在するようになっただけということになるんだと思う。

80年代終盤から、ローリングストーンズは時代の背景(ジャパンマネー、法務省の入国規制の方針転換、ドーム型球場の登場)の後押しもあり、数年に1度行うワールド・ツアーの一環として日本公演を行うようになった。
俺様個人としては来日する度に1度か2度は日本公演に行っていた。特に印象深いのは、1998年のBridges to Babylon Japan Tour。

その公演ではアリーナの後ろの方で観てたんだけど、今でこそ当たり前になったとにかくバカデカいスクリーンが3分割になったり4分割にになったり(確か)で、そこにストーンズのメンバーの姿が、公演中一貫して計算されつくされたコマ割で映し出されていた。
コンサート山場、アリーナど真ん中に設けられたセンターステージに、ニョキニョキニョキっとメインステージから伸びて来た橋(Bride to Babylon)を渡ってミック・ジャガーが颯爽と歩いてきた時、俺様は我を忘れて「ミックーーー、ミックーーー!」と叫んでいた。だって、あまりにもカッコ良かったから。この時のミックの粋な立ち姿を、真似っこ出来たら、あるいは文章で描写できたら、あるいは俳優に演出として演じさせることが出来たら、俺様はサラリーマンやってないですね。だって、それだけで食っていけるもん(笑)
それぐらい、ミックジャガーが放つ存在感に酔いしれた。
そのセンター特設ステージで演奏されたのは、ボブ・ディランのLike a rolling stone。
満を持してカバーしたこの曲の歌詞の中で、ミックは我々に問うわけですよ、
 ”How does it feel?”
と。
脇で見ていたりーだ(現妻)に、後で何度も何度もこの時の俺様の雄たけびの姿を幾度と無くからかわれ、笑われたもんである。

俺様はその時思ったものだ。
前提条件も、付帯条項も、免責事項も、制約条件も、基本契約も、瑕疵担保期間もなく、そして損得勘定とも一切関係なく、ただ単に
 ”好きだ”
と思えるものがあるということ、そしてそれと出会えた幸運というものが、こんなに素晴らしいことなのか?と。
また、こんなにも人生に彩りを添えてくれるものなのか?と。

少なくとも当時の俺様にとっては、それがローリングストーンズであったわけだ。「神様、ストーンズをこの世にお創りになってくださってありがとう。そして、同時期にこの世に俺様を生んでくださって、ホントにありがとう。」と、とりあえず神様に心から感謝した。
このとき、喜び勇んで1万円というお金を使い、時間と労力を使って東京ドームに足を運び、俺様はこのスウィート・スポットに心からしびれるんだということで、自分の中の自分を一つ発見した。

Tags: , , , , , , , ,

あわわっち的文化人類論 (その1)

2008年10月28日(火曜日) | お金, スポーツ, 映画, 生活, 音楽 | コメントはまだありません

子供の頃父から、世の中のお仕事というのは3つに分類できるということを習った。
たぶん、まだ俺様が小学生だった時のことだと思う。

  • 自然界に存在するモノを取ってくる仕事
  • その取ってきたモノに手を加えて製品にしたり、それをお店まで届ける仕事
  • その製品を売る仕事。そして、サービス業

と。
その際に、このそれぞれを

  • 第一次産業
  • 第二次産業
  • 第三次産業

と呼ぶことも合わせて教わった。
そして、実は人が生きていくのに必要な度合いに応じて、一次、二次、三次と分けられていて、サービス業という特別な産業は第三次産業に分類されているということも漠然と教えられた。
子供は記憶力に優れているので、ふぅ~ん、世の中そうなってるんだーと単純に鵜呑みにしたんだろうね。いつまでもこのことを覚えていたけど、これについてキチンと裏づけを取るとか、系統だって調べてみるということはしたことがなかった。

で、最近ちょっと気になり始めたのだが、絵描き、音楽家、小説家、俳優といった芸術・芸能の分野の産業(職業にしているプロ)と、プロスポーツ業(プロスポーツ選手という職業)の類はこの産業区分のどこに属するのかな?という疑問が俺様の頭をもたげている。

これらはサービス業と呼ぶのが正しいのかな?(たぶん、サービス業ってことで第三次産業に属するんでしょうね)

今回この投稿を書くに当たって、Wikipedia で調べてみたら、この俺様が知っていた産業区分は、「クラークの産業区分」って言うんですってね。「コーリン・クラークは、『経済的進歩の諸条件』(1941)において、産業を第一次産業、第二次産業、第三次産業に3分類し、経済発展につれて第一次産業から第二次産業、第三次産業へと産業がシフトしていくことを示した。」(Wikipedia より)。また、「クラークの産業分類に関しては、第三次産業に単純労働が含まれ、後進的な産業が先進的な産業と同じ扱いになっているという批判がある。(中略)雑多な産業を単一のくくりで単純化することについても批判がある。」(Wikipedia より)なんだって。

今回は産業区分の妥当性、有用性を議論したいわけではないので、
呼び方や産業区分での位置付けはともかくとして、これらの簡単に言ってしまえば娯楽のための産業って我々の生活においてどんな意味合いを持つのかな?どんな役割を果たすのかな?経済発展、もっと一市民の視座から言うと、生活の豊かさとの関係は?
ホントになきゃいけないものなのかな?あるとどう良いのかな?
といった、素朴なクエスチョン。
この辺りをことを、色んなことに思いを馳せながら考えてみたい。

 
生きるために必要な活動
 

上記の疑問に先導されるような形で、最近こんなことを頭の中で想像している。

文字通りプリミティブな発想をすれば、人間が生きていくためには「衣食住」が安定すればそれで良いはず。
寒さ(または暑さ)に対して体温を維持し、外傷から身を守る衣服を身に付け、生命を維持するために十分な栄養素を摂取し、外敵や寒暖から身を守りつつ寝起きできる住居があれば人間は生きていけるはずである(ちょっと乱暴だけど、生命を維持するって意味で捉えてください)。
つまり、原始生活が前提条件なら、第一次産業的な行為が生命維持のための必要十分条件となる訳だ。
映画なんて観なくてもOK だし、ロックなんてなくてもヘッチャラってわけ。

でも、まあ1億3千万人の日本人の食料や衣服を四季を通じて恒常的に安定してまかなうことを考えたら、生産性・効率性を考慮しなければならない。例えば、食料採取が可能な時期に可能な場所に行き、それに適した人材がそれ以外の人の分までかき集める。けれども、採れない時期のことも考慮して、食料を腐らせずに保存するには、適切な加工技術が必要になってくるだろう。そして、直接採取しない人のところ確実に輸送する技術も。過不足なく分配するための運用面のプロセスも必要になるだろうね。
つまり、人口を考慮に入れると、第二次産業的な行為までもが生命維持のための必要十分条件となる訳だ。
ここでも、小説なんか読まなくてもOK だし、スポーツ観戦なんてなくても全然平気ってことには変わりないと言える。

ここに出た生産性・効率性というポイントに目を向けてみよう。
これらを向上させようとする時に手っ取り早いのは、やはり作業を集約することだと思う。つまり、役割分担をして、AさんBさんが担当する作業を適性や全体の必要性に応じて振り分ける訳だ。
A さんは、αという作業に専念し、B さんは、βという作業に専念する。αもやったり、βもやったりというオーバーヘッドを減らすことを目論むわけ。
でも、我々が勤めている会社とかでもそうだと思うけど、役割分担ってすると、必ずそこに従事している人間の心に不公平感を生むんだよね。A さんはこんなことを言うわけだ、
 「俺はαが上手いけどBは下手。Bはβしかできないくせにエバッてる。αの方がβより難しいのに」
って。
αとβの持つ価値を、まんま比較して評価することは出来ないので、それらの価値を投影する共通の物差しが必要になるわけで、それが貨幣なんだと思う。そして、外的要因に応じてそれらの定量的な額を均衡状態にするまで微調整する役割を担うのが、市場や相場、もっと言えば金融業なわけだよね、元々は(サブプライムローンの抵当権を、細分化して商品化して、実体とかけ離れたところで売り飛ばすなんて”スマートな”ことを昔の人は考え付かなかったはず)、きっと。
こんなことをつらつらと考えていくと、人のやりとりを円滑にしようとすると第三次産業に類する仕組みや業種の必要性というのが見えてくる。
そーれーでーもー、生きるためにはモナリザに微笑んでもらう必要性なんて無いし、イチローが何本ヒットを打とうと関係ない。増して張本とどっちが偉大なのか?なんてことは特にね(笑)

ここまで当たり前のことを再確認する意味を込めて、しつこくしつこく書いてきたけれども、人間が生命を維持するためだけに活動する、あるいはその効率性を上げるためだけに活動するというのだとすると、娯楽の類、娯楽のための産業というのは必要ないということになりますね。

でも、実際にはれっきとした産業として存在している。
産業として成立しうるということは、確固とした需要がそこにあるからなわけですよね。

何か不思議。当たり前といえば当たり前。でも、不思議。
当たり前で不思議なことを、強引な前提条件を付けてゆるーく考えてみました。

消費者のどんな心理による需要なのかは、またの機会に考えることとします。

Tags: , , , , , ,

iPod ホルダー

2008年10月15日(水曜日) | 生活, 音楽 | コメントはまだありません

俺様あわわっちは、第5世代iPod いわゆるビデオiPod を愛用している。
かれこれ3年ぐらい使っていることになるのかな?

iPod って次々と斬新なインターフェースを発表し、とても直感的な操作感で素晴らしいのだが、
如何せん本体を操作することになるので、本体に触れられるような状態になってないと話にならない。

電車でiPod で音楽を聴く際にも、曲によって録音レベルが異なったり、ランダム再生中に今日はこの曲の気分
じゃないなぁなんていう時(りーだ(妻)が子供たちの為にiTunes Music Store で購入した宮崎駿映画の挿入歌のオルゴール演奏の中から崖の下のポニョなんかが朝一から流れた日にゃあ、α波効果で眠気を催す前に腰砕けになるもんね)は、ボリュームを操作したり、曲をスキップするためには本体に触れないといけないんだよね。
だからカバンの中にiPod を入れっぱなしにしておくわけにもいかない。

かといって、iPod を常に片手に持っているのは結構鬱陶しい。特に雨の日とか。

そんな訳で、お勧めのiPod ホルダーはこれ。

iPod ホルダー(ケーブル結束マジックテープ)

iPod ホルダー(ケーブル結束マジックテープ)

パソコンのケーブルとかを結束させるマジックテープである。

元々iPod 自体にはこのようなカバーを装着してある。

カバー付きiPod

カバー付きiPod


ズボンのベルトを通す穴が空いているのだが、いちいち着脱のためにベルトを外すっていうのも現実的ではない。

マジックテープをカバンのストラップに付けっぱなしにしておいて、iPod を聴く時には、このマジックテープをベルト穴に通すという寸法である。
装着イメージはこんな感じ。

iPod 装着イメージ

iPod 装着イメージ

逆さに装着するのがキーである。
自分の目線からだと、逆さにした方がディスプレイを上下正常位置で見ることができます。

通勤、通学時とかに、どうも収まりが悪いなーと思っている人にはお勧めです。

Tags: , , ,

夏休みの宿題 (楽器作り)

2008年8月31日(日曜日) | その他, 子育て, 結婚, 音楽 | コメントはまだありません

今日は8月31日、一般的には夏休み最後の日ですね。

最近では東京でも数日から1週間ぐらい早く、8月下旬から2学期に入るところもあるようで、ゴールデンウィークの飛び石を埋めた分だったりするんですってね。

さて、8月下旬、夏休みも終わりとなると、、、
そうです!宿題です。
もっと正確に言うと夏休みの宿題の追い込みです。
我が家の4人の子供達の一番上のおにーちゃんアランは、小学校一年生。両親共働きにより保育園に行っていた彼にとっては今回が、長期休暇である夏休み自体も、そして夏休みの宿題も初体験です。

当然我が家のご長男の彼のことなので、早め早めに課題を潰しておこう!なんてマインドセットは持ち合わせていません。俺様の血がダイレクトに流れ込んだのでしょう(笑)
といっても、小学校1年生の宿題なので、大した内容のモノは出されてません。
その日朝顔がいくつ咲いたかを記録するとか、絵日記を描く(書く)とかその手の類が殆どである。

たーだーしー、1つだけ難関が存在している。
そう、それは、
 自由課題
である。
何でも良いから一つ取り組め!ってヤツです。
一つ取り組めって言われてもねぇ…

リーダ(あわわっちの妻)には早々に、この自由課題の最終的な責任者は俺様あわわっちである。
課題が完成しない際のリカバリーにはリーダは一切関知しないという通告を8月上旬から受けていたので、若干俺様も気が気ではありません。ふぅ~~~。

でっ、結局何に取り組んだかと言うと、空き缶で楽器を作りました。
前振りが長くなりましたが、せっかくなのでその製作の過程を簡単に以下に記しておきます。

1. 空き缶集め
まずは何はともあれ、素材となる空き缶を集めます。

集めた缶

集めた缶

この際に肝要となるのは、なるべく多くの種類の空き缶を集めることです。
詳細は後で書きますが、ある特定の種類の缶に細工を加えても、高音または低音に音域を変更できる幅には限界があるため、ある程度の音階を取り揃えるには、形状の違う缶をなるべく多く取り揃える必要があります。

今回、我が家の場合は、上記の7種類の缶を素材にしてみました。

2. 缶の選定
集めた缶の中から、どの缶に加工を加えるのかを選定します。
缶をひっくり返して棒でコンコンと叩いてみると良いでしょう。ってゆーか、それしか手が無いですね(笑)

やってみて分かりましたが、アルミ缶は全く良い音が出ません。

ボツになったアルミ缶

ボツになったアルミ缶

 残念ながら、この3種類のアルミ缶は使えませんでした。

加工を施すことにしたスチール缶

加工を施すことにしたスチール缶

こちらは、良さそうです。
2種類しかありませんが、こちらのスチール缶に加工を施すことにします。

3. 設定する音を決める
それぞれの缶に設定する音を決め実際に加工を施します。

2種類のスチール缶を叩いてみると、
 ・にんじんジュースの缶は、概ねD(レ)の音
 ・ねぶたの缶は、概ねE(ミ)~ソ(G)の音
ぐらいが出ることが分かりました。
楽器用のクロマティック・チューナーで音を拾わせようとしましたが、あくまで瞬間的に発せられる打撃音なので、チューナーは役に立ちません。ピアノの音と比較しながらの作業となります。

よほど絶対音感がある方ならいざしらず、この空き缶による楽器作りには、手元に正確な音階を発する楽器がないと厳しいことになるかもしれません。

さて、ねぶたの缶から取り組むことにします。
ねぶたの缶は5、6本手元にあったので、それらの中でも比較的高い音が出るものと、低い音が出るものを選別します。

高い音(Gぐらい)を発していた2本に対して、さらに高音にする作業を施します。
高音にするには、缶の裏の縁の部分をボールペンのような硬いモノでグリグリします。

縁をグリグリして高音にする作業

縁をグリグリして高音にする作業

写真にあるように、縁を円周上にグリグリすると音が高くなります。
(後述もしますが、一方で缶の裏の中心をグリグリすると音が低くなるはずなのですが、ねぶたの缶に関しては中心グリグリでも音は高音になりました・苦笑)
なるべく高尚な音が出るようにと、今回は会社でもらった弊社ロゴ入りのピエール・バルマン製のボールペンでグリグリしてみました!(笑)

中心をグリグリしたり、縁をグリグリしたり、ボールペンをあてがっておいて上から金槌で叩いたりして、脅したりすかしたりしながら、何とか元Gの缶2本をG#(ソ#)とA(ラ)に設定することに成功。

同様に元Eの缶を数本に加工を施して、E、F、G を作りました。上記の2本と合わせて、ねぶたの缶で
 E、F、G、G#、A
が出来たことになります。

実際にやってみて分かったことですが、今回素材にしたような直径の小さな缶は、どんなに一生懸命グリグリやっても(またはどんなに高級なボールペンを使っても・笑)、変更できる音階の幅には限界があるようです。
ねぶたの缶という同一の缶のポテンシャルは、今回はE ~ A の3.5度の音階を設定しましたが、だいたいこんなもんなんじゃないでしょうか?

にんじんの缶に低音化の加工を施し、
 C、D
を作りました。

中心をグリグリして低音にする(何故か高音になる場合も・苦笑)

中心をグリグリして低音にする(何故か高音になる場合も・苦笑)

これで、最終的に
 ド、レ、ミ、ファ、ソ、ソ#、ラ
が出来たことになります。
ハッキリ言って、初体験だったせいもあるのかもしれませんが、これだけの作業でもかなり大変です。

何故ここまでの音階を頑張って作ったか、逆に何故この程度の音階まででとどめたかというと、子供が分かる世の中の単純な曲というのは、最低でもC~Aまでが必要なんじゃないかと思ったからです。
例えば、
♪チューリップ
 ドレミ、ドレミ、ソミレドレドレミレ、
 ドレミ、ドレミ、ソミレドレミド、
 ソソミソララソ、ミミレレド
♪かえるの歌
 ドレミファミレド、ミファソラソファミ、
 ド、ド、ド、ド、ドドレレミミファファミレド
♪よろこびの歌(ベートーベン第九交響曲)
 ミミファソソファミレドドレミミレレ、
 ミミファソソファミレドドレミレドド、
 レレミドレミファミレ、ミミファミレドレ(ソ)、
 ミミファソソファミレドドレミレドド
♪お星様の歌
 ドドソソララソ、ファファミミレレド、
 ソソファファミミレ、ソソファファミミレ、
 ドドソソララソ、ファファミミレレド

というわけで、C~Aまで出来れば、ある程度のレパートリーを確保することができます。

4. 缶のお化粧直し
缶に紙を貼り、見た目を綺麗にします。

綺麗な色紙を巻きつければ、かなり見た目がよくなります。

見た目もスッキリ完成図

見た目もスッキリ完成図

5. 番外(ミルクの缶)
※ご自身や身の回りに赤ちゃんがいて、ミルクの缶がある方向け

我が家には、生後7ヶ月になる三女アマンダがいるので、ミルクの缶があります。

手元にあった2種類のミルクの缶

手元にあった2種類のミルクの缶

ミルクの缶は、直径も大きいのでボールペンによるグリグリ加工の効果も如実に出ます。

また、直径が大きいせいでしょう、初めから同一の缶であっても音のバラつきが大きいです。
さすが、MEIJIやBeanStalk も、粉ミルクの品質管理にはこだわっても、それを入れる缶の音階の質の均質化にまでは手が回っていないと見えます(笑)

2缶ずつ、2種類、計4つの缶で、あっというまド・レ・ミ・ファの音階を作れました。
また、音色もスチールドラムのようで楽しいです。
缶の数が少なかったので、殆ど曲を奏でることができませんが、これは次回のお楽しみですね。

以上長くなりましたが、長男アランの夏休みの宿題である自由課題の詳細でした。

Tags: , , , , , ,

番記者一覧

Search

RSS THADAS’ RSS (最新の投稿)

最近のコメント

カレンダー

2012年2月
« 7月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
272829  

THADAS’ Blog のカテゴリー

アーカイブ

スポンサードリンク