先日イデオロギーとロックって話について書いたけど(こちらを参照)、お友達のふじさんのコメントにも触発されて、あれから ロックってそもそも何なんだっけ? なんてことをツラツラと考えている。 (暇だねぇ~、俺様も・苦笑)
ロックの話に行く前に映画の話。 雑誌のニューズウィークの5月6日/13日ゴールデンウィーク合併号は、 映画ザ・ベスト100 という特集号になっていた。
そのなかに 「『不朽の名作』にだまされるな」 という記事をデービッド・アンセン(同誌映画担当)というオッサンが書いているんだけど、この記事を読んでたら段々と腹が立ってきた。
ご覧になった方います? 同じ感想を抱いた方いませんか?
記事の内容はこんな感じ。 アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)という団体が、 「偉大なアメリカ映画ベスト100」 というのを1998年と2007年に2度発表した。 これは監督や脚本家、批評家など約1500名の業界関係者によって選出されたものなんだそうだ。
ちなみに2007年の順位をトップ10だけ書くと、
1. 市民ケーン(1) 2. ゴッドファーザー(3) 3. カサブランカ(2) 4. レイジング・ブル(24) 5. 雨に唄えば(10) 6. 風と共に去りぬ(4) 7. アラビアのロレンス(5) 8. シンドラーのリスト(9) 9. めまい(61) 10. オズの魔法使い(6) ()は98年の順位
とういもの。
で、記事の中でアンセン氏は、とにかくウッザイのよ。 やれ「スター・ウォーズ」(13位にランクイン)は大ヒットしたけど、独創性、想像力、深いテーマ性に欠けるだとか、「サウンド・オブ・ミュージック」(40位)や「ウェスト・サイド物語」(51位)のランクインはおかしい、ビンセント・ミネリ監督の「バンド・ワゴン」(ランク外)を入れるべきだとか言ってる。 「この手のアンケートの回答者には、本当の映画通や批評家は少ない。だから、より新しい人気作が上位に入ってしまう。」(同記事から抜粋) んだそうだ。
どう思います・・・?
どうだって良いじゃんそんなこと!って思いません?
「自分が”映画通”だってことが言いたいだけでしょ?」と言いたくなった。 「興行的にヒットしなくても、芸術性の観点から高く評価されるべき作品を自分はたくさん知っている」と主張したいんでしょ?と。 「オジサン怒らないで最後まで黙って聴いてあげるから、あなたが100位まで選んでみなさい」とも思う。
でもって、ロックの話に戻ります(^^) ロックって何なんでしょうねぇ・・・って話。
それも、どうだって良いかなぁって気がしてきた。 俺様にとってロックはローリング・ストーンズであり、その後段々ハード志向が強くなって、ガンズ・アンド・ローゼスなんかを聴いたり、メタリカまで聴いたりした。 高校の時一緒にバンドをやっていたドラムの奴なんかは、「ボン・ジョビはロックじゃねぇ!」なんて、社会人になってからも言っていた(俺様はボン・ジョビも大好きだけど)。
必ずしもメッセージ性の強い主張が込められていなくても、それはロックだし、メッセージ性という観点で言えば、フォークやラップにも主張は込められている(ギャング・ラップなんて、もっと生きるか死ぬかの生々しい境界線をくぐりぬけて来た人の率直な表現があったりするわけだし)。 ニルバーナのような深い内面的な苦悩がサウンドとして表出したものもロックだし、甘く切ないバラードもロックだなと。 どぎつい化粧にド派手なライティングを当ててステージに颯爽と登場するのもロックだし、街角でアコースティック一本で声を枯らすのもロックだなと。
イデオロギーありきじゃなくてもロックではないか。 100選の映画投票の話もそうだけど、結局視聴してくれる人間の絶対数が少ないことには話にならない訳ですよ。ビジネスとしても成り立たない訳だし。 そう考えると、忌野清志郎さんのTimers の演出は、パロディーとジョークと本気のブレンドってことで、プロフェッショナルとしてのバランス感覚にいかに優れていたか!と改めて感心したりして。
そんなこんなで、散々考えて、ロックとはなんぞやとは考えないことにした。 好きならそれでよいジャンと。 音を楽しめれば良いんだから。
Tags: AFI, イデオロギー, ニューズウィーク, ロック, 主張, 偉大なアメリカ映画ベスト100
多分に漏れず忌野清志郎さんの死について。 以下、ごくごく個人的な偏見と思い込みに満ちた想い。
清志郎さんの死についての報道を見て、正直違和感を覚えた。 「ロックの神様の死」 という論調が大半だったからだ。
忌野清志郎さんは、”ロックの神様”だったのだろうか? “日本の”というスコープ限定を前提条件にしても、それは違うんじゃないかなぁ? なんて正直思った。
1972年生まれの俺様にしてみると、RCサクセションというバンドは実感を伴っては良く分からないというのが本音で、「雨上がりの夜空に」も「トランジスタ・ラジオ」もリアルタイムで聴いた記憶はない。 自身の生の記憶としてあるのは、所属の東芝EMIと揉めに揉めた「Covers」とか「Baby A Go Go」ぐらいからである。 今になって聴き返してみても(実際に聴き直してみたんだけど)、単純にサウンドとしてこれがロックかなぁ?と思う。
そんな折に、日経新聞に掲載された音楽評論家の渋谷陽一さんによる、清志郎さんの死についての記事を目にした。 詳細はその記事自体をご覧をいただかないことには話にならないのだけれど、俺様なりに要旨をかいつまむと、 ・派手な衣装やファッションに目が行きがちだが、その裏で本人の中に思想が確立されていたという点 ・依頼された仕事をキチンとこなすという点では、正真正銘のプロフェッショナルであったという点 が、同時代を生きた人にしか分からない実感を伴って書かれていたように思う。
渋谷氏は「ぼくの好きな先生」という初期の作品を取り上げて、普通ロックをステレオタイプ的に理解するなら、 先生 = 体制や規範の象徴 = ロックの敵 という解釈が先に立って、こんな曲は書かないのでは?と述べていた。 腰がブレない清志郎さんならではのアプローチだと。 彼の確立された思想の前では、そんな固定的な構図は瑣末なことなのだと。
そんなこんなもあった上で、Youtube で古い映像を観たら、グッと来た。かなりグッと来たね。 観たのは、Timers 時代の映像や「Summer time blues」「Love me tender」なんだけど、派手なファッションや言葉遊びと共に、こんな風に主張してたのねと再認識。 (FM東京(現Tokyo FM?)をフジテレビの生放送で”オ○○コ野郎”呼ばわりしてるのなんて強烈!)
Timersの過激派的ファッションで、鼻に付きすぎないように自身で上手ぁーく茶化している、微調整しているあたりのセンスに感服してしまった。 期せずしてか、単なる偶然か、「癌になりたくねぇ」とか「長生きしてぇなぁ」なんて歌い上げているのを耳にして、ウルウルっと来たりもした。
政治も左派中道か右派中道の選択肢しかないというような、イデオロギーの対立が消滅した時代、政権選択も経済性の方法論選択に主眼が置かれるこのご時勢、 「思想というものを楽曲を通して主張した最後のロックスターの死」 なのかもしれない。
故人のご冥福を心よりお祈りします。
Tags: timers, イデオロギー, ロック, 忌野清志郎, 思想