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	<title>THADAS’ Blog &#187; 網羅性</title>
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	<description>身の回りの出来事を多面的に考察</description>
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		<title>カンセイの法則 (その2)</title>
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		<pubDate>Sat, 06 Dec 2008 15:49:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>あわわっち</dc:creator>
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感性とは？
　

では、ここで言う「感性」とは一体何だろうか？
例えるなら、心の目の開き具合、意識の目覚め具合とでも言ったら良いかな。
かっこ良く言えば、感性とは、見据えた視野の広さであり、着想の飛翔の高さであり、モティベーションの強さであり、創造性といった定義になるかな。
「感性が開いた」状態で人は仕事をすると、より鳥瞰的な視座から物事を捉え、自ずと広い視野で物事に目が行き届き、いつもより自由な発想のアイデアが生まれ、先入観に囚われない創造的な仕事ができるということでしょうか。
こういう心の状態を如何に導き出せるか？が、指導的立場の人の手腕に掛かっているわけだ。
俺様は子供の頃、読書感想文というのを書くのが大嫌いでした。
（好きだったという人は、むしろマイノリティーだと思うけど)とにかく大の苦手で、いつも書くのが本当に苦痛でした。
小学校の3、4年生の時、担任の先生が専門は国語の先生だったんだけど、これがヒドイ先生でねぇ、まず最初にくる彼に対する描写は、「アル中」です。
比喩じゃなくて、ホントに慢性アルコール中毒だったんです。
息は酒臭いし、手は震えてるし、教室でタバコを吸うし、自習させて居眠りするし、すぐ殴るしで、今だったらPTA・教育委員会で大問題になってますね。(どういう訳か俺様自身はその先生のことを嫌いにならなかったんだけど)すげーメチャクチャ仲良かったクラスメートの1人なんて、お父さんも酒乱の傾向があったために、その先生に自分の父親の嫌な一面が重なっちゃって、学校でも家でも気持ちの逃げ場がなくなっちゃって登校拒否になっちゃったぐらいですからね。
ある時その担任の先生に、クラスみんなの前で、俺様は自分の書いた読書感想文を手渡され、立って大きな声で読み上げろと言われたことがあった。当然言われた通りに読み上げました。読まないと殴られるしね(泣)
読み終わったら、その先生に酷評されました。お前の読書感想文はヒドイと。
あらすじをチョコっと書いては、良いと思うとか悪いと思うとか、面白いと思うとか、悲しいと思うとか、その繰り返しで中身が無いって言われました。悪い例としてクラスに提示されたわけです。
今思えば確かに中身が無いんですが(笑)、読書感想文ってこういう物だと思い込んでたんですよね、俺様。自分が何か感じた部分を本文から抜き出して、そこにコメントを書く、それを繰り返して指定された文字数を使い切るまで書き切るものだと思ってました。「感性」が開いてなかったんです。逆恨みするわけじゃないけど、その国語の先生も感性を開かせてくれなかったし。
今なんか、上手かどうか、洗練されているかどうかは全く無視して、嬉々として書いちゃいますね。
感想パート3、連想して思い至った事柄7ぐらいの割合で色々書いちゃうよね。「感性」が開いてるから（笑)
とにかく色々と思い至ったら、ってゆーかすぐ思い至るし。本文から脱線しようとしまいが色々ゴニョゴニョと考えて、それをなるべく整理して書きなぐってみる、コリコリ、フムフムって感じで。
大人になって、読んだ本の本文から発せられた光が反射する心の鏡、つまり本文の内容から連想する自身の経験が子供と比較して遥かに多いからなせる業と言ってしまえば、それまでかも知れないが、小学生だってそれなりに生活、経験しているわけだから、枷を外すような指導、つまり、本文の内容は導火線としてそこそこ触れれば良くて、別にそこから大きく逸脱しても良いから、自身の経験とちょっと似てるとか、自分が実際に取ってる行動とは違うとか、だったら今度はこの本を読み終わった新しい自分はどうしたい？とか、どう自分を組み立てて行きたいか？とか、もっともっと自身のことに感性を向けさせてくれて、そういった発想を出しやすくするヒントをくれて、あとは遠慮なく書けば良いんだと安心させてくれれば、もっと読書感想文を書くのが好きだったかもしれませんね。
残念ながらこの先生からは、読書感想文についてそういった形態の指導は受けられなかったという認識です。
酒でも飲めってことだったのかな？(笑)
子供の頃の読書感想文の話はこれぐらいにしておいて、今の自分の実生活においてはどうすべきか？って課題がありますね。
これはもう、周囲からの情報とか刺激をキャッチする心のアンテナを高く大きくして、何か感じるところがある物をひたすら耳に入れる自助努力をすべきって話に尽きるんですかね。
本繋がりでちょっと書くと…
先日会社で本に関して面白い話が聞けました。
数ヶ月前にウチの部署に異動してきた後輩(通称：チカラコブ君)と雑談してて分かったんだけど、このチカラコブ君ったら意外や意外読書家だということが判明した。しかも多読家で、結構本を割かし速読的にバンバン読んじゃうんだって。
まあ、この&#8221;意外&#8221;っていう評価も、別の後輩（スリーツリー君)の
　「あわわっちさん、あのチカラコブさんは脳ミソまで筋肉で出来てます。へっへっへ」
っていう風評に惑わされてただけなんですけどね(情報をミスアンダースタンドした悪い例ですね・笑)。
で、このチカラコブ君は、本の読み方、本をどう読むべきか的指南をしてくれる本も何冊か読んでるそうで、彼が言うところのそれらによると、&#8221;ビジネス書的な指南本は小説ではない&#8221;って割り切りが大事なんだそうです。
この投稿の内容に準えて言うならば、小説を読む時の感性は敢えて封印し、ビジネス書用の感性を開くべしってことですね。
すなわち、指南書は小説を読むように書かれている文章を一つ一つ胸に吸い込むようにして、その世界観に浸っていてはいけないんだそうだ。とにかくひたすら斜め読みをして、なるべく一気に、例えば30分間とかで、本1冊に&#8221;目を通して&#8221;、どこに何が書かれているかのIndex(目次)を頭の中に作れば初見は完了とのこと。
後は生活、仕事をしていく上でその記憶とヒットするようなことがあった際に、どの本のどの箇所にどんな事が書かれていたかを示す頭の中のその Index を頼りに、その本を引っ張り出してきて、該当する箇所だけをじっくりと読み返せば良いのだそうだ。
　「どうせ、元々じっくり読んでも何も覚えてないでしょ？」
とチカラコブ君は主張する。
俺様自身がこれを実践するかどうかは別途考えるとして、なるほどねぇ、と感心してしまった。
これまでその手の本はじっくり考察しながら読むもの、字面を追う時間と頭の中で色々と考えをめぐらす時間とを半々ぐらいで読むものだと思い込んでだから。
それから俺様は、良く世の中で言う&#8221;速読&#8221;ってやつは、本1冊を数分ぐらいで読んじゃう読み方を指し、一瞬で本の各ページを隅々まで余すことなく絵として脳裏に焼き付ける極めて特殊な技能だと思っていたんだけど、そこまでじゃないにしても、30分とかで目を通すって中間的速読って領域が存在することも初めて知りました。
つまり、この事実が示唆する大きな意義は、特別な訓練を積まなくても母国語で書かれている本に対してなら、大抵の人がこの中間速読は実践可能ってことですよね。そして、この手法を用いれば、確かに限られた時間の中で読破(＝目を通す)できる本の数は爆発的に増えますね。
ある領域に関するある特定の情報が持つ価値を高めるには、その周辺事情の把握の網羅性を高めるのが一番だという考え方に則れば、確かにある分野に関する本を端から多読した方が、1冊の本を深読みするより持っている情報は洗練されるよなぁと思いました。
つまり俺様なりに説明を試みると、例えば限られた時間内で美味いミソラーメンを食べに行きたいという人のリクエストに応えなきゃいけないシチュエーションで、あなたが選択したラーメン屋のその選択の妥当性を納得させるためには、そのミソラーメンの麺やスープや具の美味さをこと細かく説明する（＝1冊の本を深堀りして情報を得る)より、
　「この辺のラーメン屋のミソラーメンは一通り食べた（＝その分野の本の数々にざっと一通り目を通す)けど、ここの店のが一番美味かったから、ここにしよう！」
と説明した方が納得感が得られますよね。
ビジネス書向け多読、あるいはビジネス書向け感性とはこういうことかもしれない。
とにかく、思わぬところから思ってもみなかった、とっても有益な情報が聞けました。
情報のソースしかり、情報内容の意外性しかり。
色んなところに宝は埋まってるもんだなぁと。
ちからこぶ君、ありがとう。
(次回へとつづく)
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