「職業に貴賎なし」とは、 職業には、(法律や倫理に背かないという前提条件がもちろん付くが)「貴い」または「賎しい」といった差別はなく、どんな職業であっても、支払われる賃金の高低とは無関係に、人様や社会に役立つための存在意義があり、その責務を全うすべく誇りを持って自身の仕事に取り組もうという考え方である。と俺様は理解している。
この言葉、思想に対する俺様の理解の過不足については脇に置いておいて(笑)、こういった考え方が今の日本、ひいてはグローバルでどれぐらい通用するんですかね?
そもそも、こんなことを思い至ったキッカケは、我ながら物凄く下らないんです。えー、下らないです。
今週末、紆余曲折を経てまた一晩独身生活となった俺様(長男・長女はリーダ(妻)と新潟のリーダの実家へ、次女・三女は俺様の実家へ)は、昨日土曜日の晩にまた御徒町の平録寿司という回転寿司屋に行った。
土曜日の19時過ぎに行ったということもあって、前回と違って店は結構混んでいた。 寿司が回転するカウンターの中で寿司を握る店員(敢えて職人とは呼ばない)が、おそらく最大定員である3人が入って客のオーダーの対応してた訳だが、俺様が座った席担当の店員の質があまりに低いのだ。 30代後半から40代前半ぐらいの男性である。 まず、 ・そもそも寿司を握るのが下手 かつ ・雑 つまり、客として見ると、寿司屋としての絶対技能が低いのみならず、改善の意思も感じられないということになる。 おまけに、 ・オーダーを良く間違える
こうなると、仕事さえキッチリやってくれればそんなに目が行かないような、 ・無愛想 ・愚鈍そうな表情の無い顔 というのにも文句を言いたくなってくる(笑) 要は、寿司職人としての存在価値も薄ければ、サービス業に従事する者としての自覚も足りんって話です。
「一皿136円の回転寿司食っておいて偉そうなこと言ってるんじゃねぇーよ!」 という声が聞こえてきそうですね(汗) はい、その通りだと思います。 「文句が言いたいなら、もっと高級店に行って寿司食え、それが出来ないなら我慢して食っとけ!」って話ですよね。
そんなこんなで、我慢して(笑)寿司を食い終え、店を出てチャリで帰宅中に思い出したのが、 「職業に貴賎なし」って言葉です。
結局のところ、高度資本主義経済社会において、ある画一的な評価軸に照らして高品質と位置づけられるサービスを享受しようとすると、どうしてもその対価として支払うべきお金がたくさん必要になる。 ってことは、自ずと収入の多い職業に就いていないと、消費文化のど真ん中でサービス消費の局面において良い思いをすることは出来ないということになる。 ちょっと強引だけど、一皿136円の寿司を握る寿司屋の店員には、気概のある求職者は望めないし、誇りを持って仕事する気にもならんってことになるんでしょうか。
でもねぇー、二十歳そこそこの駆け出しって言うならいざしらず、40歳前後と思しき寿司屋の板前(?)、職人(?)として、何がしかのプロとしてのプライド、自覚、改善意欲みたいなものは無いのかね?
こんな世の中、こんなご時勢だから、 「職業に貴賎なし」 ってことを改めて考え直す必要があるのでは、思いました。 俺様の自身の仕事ぶりを見つめ直したい。
ちなみに、 ・鮪 ・烏賊 ・鯵 ・鰯 ・鰤 ・中トロ(1皿1貫)x2 ・鯛 ・エンガワ ・ネギトロ手巻き ・生鯖 ・シメ鯖 ・甘海老 ・鮭 ・生ビール ¥2,354也
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